スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

banner_01.gif

読書/テレビゲーム文化論/桝山寛 

テレビゲーム文化論―インタラクティブ・メディアのゆくえ テレビゲーム文化論―インタラクティブ・メディアのゆくえ
桝山 寛 (2001/10)
講談社

この商品の詳細を見る

久しぶりに読書をしてみた。
随分昔に出版された本…といっても6年前だけど、テレビゲーム・パソコン関係の世界を中心に据えた本なので、たった6年前が非常に昔のように感じられてしまう。IT系の技術基盤の更新の速さはどのジャンルにも勝っているように思う。もちろんITなんかは日常生活に深く関わっているので、それだけ進化の度合いが分かりやすいというのはあるんだろうけど。まさか栃木の田舎のJR改札口が自動改札になるなんて誰が予想できたでしょう。

そして本の内容とは全く関係ないけれど、です・ます調を脱するのが今回のブログの目的なのだワトソン君。言い切り系というか、見られている感を意識しないで書くのだ。

本の内容は副題の「インタラクティブ・メディアのゆくえ」の通り、今後のテレビゲームがどのように進化していくかについて大まかな見通しをつけている。まずゲームを「相手をしてくれるメディア」と定義づけした後、これからはロボットの時代が来るよと桝山氏は言っている。
AIBOというSONYが売り出したネコ型ならぬ犬型ロボットがかろうじて記憶にある。1999年に初代AIBOが売り出された当時、その爆発的な人気によりホットイシューとして扱われた。この本はこの流れが後に続いていくものとして考察されている。
しかし、現在は2006年にAIBOは生産中止となり、その他のエンターテイメントロボットは現れていない。

続きを読む

スポンサーサイト
banner_01.gif

読書/「みんな」のバカ!/仲正昌樹 

「みんな」のバカ! 無責任になる構造 「みんな」のバカ! 無責任になる構造
仲正 昌樹 (2004/06/18)
光文社

この商品の詳細を見る

こないだ文化庁メディア芸術祭に行ったときの出来事なんだけど、「時をかける少女」が無料で見られたり、アニメでは富野さんたちが来るし、マンガではかわぐちかいじさんなんかが来るってことで、かなり多くの人が開場前から並んでたのですよ。朝9時とかで思ってたより寒くて風も強くて、並ぶのきついなーとおそらく「みんな」思ってたはず。それでも頑張って我慢して「みんな」並んでいたわけです。

と、そこに一人のおばさんがトコトコとやってきて…拙者の前にススっと…何食わぬ顔で…横入り(←これ方言らしいけどうそん!?ズルして並ぶことって、よこはいりって言うんじゃないの!?)…とにかく割り込みされたわけです。衝撃ですよ。あれだけ人が並んでいて、まさか自分が割り込まれる人に選ばれるだなんて思ってなかったのです。
これはどうしたものかと…日本人のモラル低下が著しいだなんて言われていても、どこか別世界の話だと思ってたのに、まさかその被害を自分が受けるなんて。と思っていたら、一緒に並んでいた友人が「すみませんけど、後ろにちゃんと並んでください」って言ったんですよ。拍手喝采です。

という流れで「みんな」が無責任になる構造を書いた本に繋げようとする必死の努力を認めてください。上のはもちろん実話ですよ。ノンフィクションですよ。

上の割り込みをされた例を使うと、あの場面で割り込みしたおばさんを注意するか注意しないかという違いは、責任の所在というか、責任に対する認識に関わってきます。
日本で責任というと、なにか失敗したときの責めを負うとか、「みんな」の中で重要な立場に関わっているという状態のことを指します。それに対して西洋での責任というのは応答することで、責任主体が答えるべき相手を特定できることが前提になって初めて存在します。特定の状況の中で個人として相手に負うべき義務こそ、責任であると言えます。
日本は「みんなの中の立場」、西洋は「特定の場面」によって責任が生じる。

拙者は正直割り込みおばさんに注意しなくていいかなーと思ったのです。「みんな」の雰囲気悪くなったら嫌だしなーとか思って。それにおばさんが割り込んだ位で整理券がなくなっちゃうって感じでもなかったので、それならほっといてもいいかなーと。「並んでいる人みんな」が整理券をもらえるっていうことは、並んでいる人の「立場」は並列的だからどこにいても責任は生じない的な見方です。

それに対して注意した友人は、割り込まれたっていう場面に対して個人的にするべき義務を果たしたと言うことが出来る気がします。結果的にそのおばさんは普通に整理券ゲットしてたので「みんな」害はなかったんだけど、仮にそのおばさんのせいで「みんなの中の誰か」が「みんな」から外される=整理券をもらえない状況になってしまった場合、そのおばさんが悪いのは当然なんだけど、それを目の前で許した自分も悪いんですよね。

っていう当たり前の話レベルまで程度が落ちちゃった上に、本の本質的な内容とはかけ離れてる感じなのでおやすみなさい。

banner_01.gif

読書/ウェブ進化論/梅田望夫 



本の要約みたいのは「翻案」とかいって著作権違反になるらしいので、なんか違う感じで読書した雰囲気を出していこうと思いマウス。
ただこの著作権っていうのが厄介で、作者と受け手の間には出版社やら事務所やら色んなのが介在してて、当の作者が別に勝手に使ったり要約したりしていいよ的なことを言ってても、その仲介者みたいのがごちゃごちゃ言ってきたりするわけです。全く本が売れなかった作者に取ってみれば、誰かに読まれて初めて意味があるわけだから、むしろそういう紹介の仕方を歓迎したりする人も中にはいる。
…っていう流れが、グーグルを始めとするウェブ上で起こっています。

どうこの無理矢理な話のもっていき方は。

この本の中で面白かったのは2つ。本当は全部ガーって書きたいけどミッキーマウスがピンポーンってきたらサヨウナラなので2個に絞って書きマウス。

↓続く

続きを読む

banner_01.gif

読書/環境問題の杞憂/藤倉良 

寿命を用いたデータから日本が健康に良い国とし、日本の社会保険インフラとか日本のハイテク医療の現状を考慮してないのは微妙。
とりあえず日本は世界的に見て環境は悪くない。環境先進国と言われるドイツと同等、むしろそれ以上とも言える。でも比較表がまた微妙。絶滅に瀕している種の割合とかは単純に比較できるものじゃないし、それで環境が良い悪いも簡単には言えない。
今でも悪くなってるかのような報道がされているのは、研究者がインパクトを求めた研究結果を発表したり、それを完全に理解してないメディアが恣意的に用いるため。数値的にはむしろ改善されてる。

フロンオゾンホール破壊はかなり早い段階で国際社会の認知を得、使用禁止になるのも迅速だった。これはアメリカの力。その背景にはアメリカだけが代替フロンをすでに開発していて、世界の代替フロンのシェアを独占できるという政治・経済的な力があった。

日本自体の硫黄酸化物・窒素酸化物の排出量は小さいのに、日本に降る酸性雨中のSO・NO濃度は高い。これは隣国の中国・韓国から流れてくるもの。
ヨーロッパは陸続きかつ経済発展状態が同じような国同士だったので、酸性雨に対する国家間の認知はうまくいった。日本・東アジアじゃ無理。

一番面白かったのはライフスタイルアセスメント(LSA)。製造・流通・使用・廃棄・リサイクルの全段階を通したマクロな視点で環境影響を考える。以下は石油系合成洗剤/植物系合成洗剤石鹸の例。
1・合成洗剤は廃棄時の魚毒性が強い。
2・石油系合成洗剤は化石燃料を原料に使う。
3・植物系合成洗剤石鹸はパーム油を原料に使う。
などをトータルで考えたときにどうなるか。廃棄に下水が完備されている現代で1はほとんど無意味な批判。2も化石燃料総使用量を考えれば微々たるもの。3はパーム油を作るために熱帯雨林が伐採されたり、子供を労働に出したりなどの問題がある。

あとリサイクルがなんでもいいってわけじゃない。ビン回収するためのコストもかかるし、ビンの強度保つためにもコストがかかるし。ワンウェイ瓶が製造から廃棄までで一番二酸化炭素排出量が少なかったりもする。

banner_01.gif

読書/過防備都市/五十嵐太郎 

セキュリティの必要性が問われる現代社会において進むべき道は3つ。
・シェルターのように要塞化すること。
・監視の目を隅々まで行き届かせる透明化。
ドゥルーズの提唱するような管理社会

監視カメラやNシステムはテクノロジーを利用した情報管理社会へ向かう方向性を持っている。そこにバイオメトリクス(生体認証)が加わることで、個人情報がデータベース化され、トレーサビリティ(追跡可能性)を持つことが出来たり、特定の個人・団体を特定の場所から排除することが可能になる。
これは3番目の管理社会に当てはまるもの。

一方で自警団という形でセキュリティを高める方法もある。「破れ窓理論」でニューヨークを浄化したように、ストリートの犯罪要因を早めに摘み取るために地域コミュニティを利用する。監視目的で街を練り歩く集団はある意味で住民の警察化といえる。警察は空間デザインにセキュリティを要請し、暗がりをなくしたり透明性を高めたりする。
これは監視の目を行き届かせる透明化であり、2番目に当てはまる。

学校は2001年6月8日に起きた大阪教育大学付属池田小学校での乱入殺傷事件というカタストロフを契機に要塞化が進む。入り口を一つに絞り警備員を配置したり、監視カメラを導入したりする。
住宅は外=危険とした場合、最後の安全地帯。しかしそこが安全であるためにはセキュリティが必要となってきている。セキュリティタウンのようなゾーニングされた地域も完成し、空間は閉鎖の方向へ進む。
学校のシェルター化、空間の閉鎖は要塞化という1番目の状況である。

これらは全て他者への信頼に基づく近代社会の機能不全であり、匿名ではいられない空間作りが目指されている。
ほんとはもっと違うんだけどメモってことで。

banner_01.gif
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。