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読書/動物化するポストモダン/東浩紀 

オタク系文化が「日本的なもの」とされてきた。アニメやマンガは江戸時代の文化と結び付けられ、オタク系文化は日本伝統文化後継者であるかのように論じられてきた。
しかし実際にはアニメはアメリカから輸入したものを日本で再構築したものであり、江戸からの連続性はおろか、確かな断絶がある。また、マンガも手塚治が原点であるかのように論じられてきたが、異論を唱える研究が進んでいる。
こうしたオタク系文化の肯定は、日本の高度経済成長の時期、アメリカを抜いて世界一になったという自負、日本こそポストモダンという最先端文明であるという時流にリンクしている。

大塚英志の『物語消費論』に記されるように、モダン・近代では表層にある数々の小さな物語から、その背後に隠されたツリー型の大きな物語を読み取ることが重要だった。そしてその大きな物語という世界観を共有する限りで二次制作が行われた。ビックリマンのシールは、ビックリマンの世界観から外れない限りで無限に作り出すことが可能になる。
ポストモダンでは、小さな物語の背後にある大きな物語は、大きな非物語・データベースに取って代わられた。ポストモダンでは、表層のシミュラークルと背後にあるデータベースという二層構造になる。大きな物語という一つの世界観から、それらを横断してしまう単なる要素があればよいのだ。

例えばポケモンデジモンは同じような世界観を持つように見えるか、それらは別の作品であり、それぞれ固有の世界観を有している。ところがポストモダンでは、この二つの作品を横断してしまうようなキャラがシミュラークルとして消費される。ピカチュウ
パタモン

ピカチュウパタモンは別の物語に属するキャラクターだが、げっ歯類、小動物、長い耳、色、非力さ、カワイイ…などの共通する要素が見出され、その要素こそがデータベースなのである。このデータベース・設定の組み合わせによって、シミュラークルは無限に作ることが出来る。こうして世界観を持った物語から、要素のみで成立する非物語・データベースを消費するのがポストモダンである。

ポストモダンでは、表層の小さな物語とデータベースは別々に消費される。
コジェーヴの「動物化」という概念は、「欲求欲望=動物/人間」と表現される。つまり他者を必要とせず、自分ひとりで充足することを「欲求」としそれを「動物」、他者との間主体的な「欲望」を持つものを「人間」として区別した。
簡単な例が女性に対する性的な欲望で、自己満足的な性処理の欲求と、女性を手に入れたことで周りから嫉妬されたいと思う欲望という区別が、コジューヴの言う動物と人間の違いである。

ポストモダンでは無限のシミュラークルである小さな物語に欲求し、自己満足すると同時に、深層のデータベースに対してはそれを駆使して新たなシミュラークルを作ろうと欲望する。これらは繋がることがなく、解離的である。
小さな物語への自己回収的な欲求と、大きな非物語の社交性を持つ欲望を持つ人間像をデータベース的動物と名付ける。

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