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読書/ウェブ進化論/梅田望夫 



本の要約みたいのは「翻案」とかいって著作権違反になるらしいので、なんか違う感じで読書した雰囲気を出していこうと思いマウス。
ただこの著作権っていうのが厄介で、作者と受け手の間には出版社やら事務所やら色んなのが介在してて、当の作者が別に勝手に使ったり要約したりしていいよ的なことを言ってても、その仲介者みたいのがごちゃごちゃ言ってきたりするわけです。全く本が売れなかった作者に取ってみれば、誰かに読まれて初めて意味があるわけだから、むしろそういう紹介の仕方を歓迎したりする人も中にはいる。
…っていう流れが、グーグルを始めとするウェブ上で起こっています。

どうこの無理矢理な話のもっていき方は。

この本の中で面白かったのは2つ。本当は全部ガーって書きたいけどミッキーマウスがピンポーンってきたらサヨウナラなので2個に絞って書きマウス。

↓続く

ロングテール現象について。
ロングテールっていうのは尻尾の長い恐竜のことです。映画ドラえもん「のび太の恐竜」で桃太郎印のきびだんごを食べてたティラノザウルスを思い浮かべてください。そんで、尻尾だけめちゃくちゃに長くしてください。それを棒グラフに見立てます。
縦軸は売れた冊数で、横軸は売れた順位で本を置いてると思ってください。恐竜の頭の方は背が高くなっているので、それを本の売れた冊数に見立てるとめちゃくちゃ大ヒットしてることになります。でも頭の部分の横幅は凄く小さくて、そこから背中をガクンって落ちてって、あとは尻尾の部分がずーっと続きます。尻尾は下手すると一冊しか売れてない本とかです。世の中にはそういう売れない本ばっかりで、セカチューみたいな売れる本は数少ないのです。

しかし驚くなかれ、アマゾンの売り上げの半分がこのロングテール部分の商品によるものなのです。わぁー。これはアマゾンが商品の広告をうまく使ったからです。アマゾンで本注文すると、同じような種類の本の紹介メールみたいのが勝手に送られてくるじゃないですか。うざったいなーとか思いながらついつい覗いて見ると、なんだか自分の趣味に合った本が紹介されてるわけです。んで、ワンクリックして購入。ありがとうございました。です。

これはアマゾンが今までどういうお客さんが、どういう本を買ったか、その本を買った人はどういう本も同時に購入する傾向があるのか…とかっていうのをデータとして蓄積してるから出来る広告方法なのです。それによってロングテール部分にある今まで決して売ることのできなかった商品がピンポイントで需要者に供給されるのです。我々がアマゾンで品物を購入するということは、以下のようなやり取りをしていることになります。

アマゾン「あなたの購入履歴をデータに保存させていただきますね。んでもって、このデータ利用して、他の人に広告送るときの参考にさせてもらいますー。さんきゅー。」
お客さん「いやいや、素敵な本を紹介してくれて助かったよ。まさに自分の好みに合った本であります。ケロロ軍曹っぽくて最高です。また面白そうなのあったら教えてね、ほんじゃさんきゅー。」

はっきり言って売れるか売れないかっていうのは広告によって決まるってことがよく分かると思います。私たちは自分で商品を選んでいるような気になっているけれど、実際にはかなりフィルタリングされた商品郡から選んでいるに過ぎません。選んでいるっていうか、選ばされてるって言ったほうが正しいくらいです。
名前を出すのも怖いくらいな大手広告代理店は、言わば恐竜の頭の部分を宣伝することで利益を得ています。アマゾンなんかがこうしてロングテール部分からピンポイントに広告を出されて、しかも利益を発生させられてしまうのは非常に嫌なわけです。全体としての消費支出は変わらないという前提だと、ロングテール部分から物が売れてしまうと、恐竜の頭がどんどん低くなってしまうからです。商売あがったりです。

ロングテールから必要な一品を見つけ出すための最終兵器とも言える方法が、アマゾンの進めるテキストフルサーチ・サービスや、グーグルが訴えられた世界中の図書館スキャン&サーチを目指すグーグルブックサーチです。そんなことダメ、絶対!という感じで恐竜の頭組は断固として著作権やらなんやらを訴えるわけです。でも売れない本の作者にとってみれば、読んでもらえてこその本なので、くだらない本がくだらない宣伝方法で読者のお金も時間も奪っていく現状よりは、一人でも自分の本を読んでもらえる世界の方が好ましいわけです。
とかって書くと恐竜の首サイドの人が悪者っぽいけど、別にそんなことなくて、どっちも自分の会社の利益のために必死なわけです。完全な一読者の立場で言えば、本の中身の言葉まで検索できたり、読みたいとこだけ読めたりするのは嬉しいけどね。

総表現社会について。
あと面白かったのはブログを利用した表現者の増加について。みそしる共同体は始めてまだ半月くらいしか経ってないけれど、パソコンの知識が全くないわりにはよく頑張ってると思いマウス。本当は一番上の「みそしる共同体」ってとこに画像入れたり、幅変えたりしたいけど全然わからないわけです。でもテキストだけは簡単に入力して、表現することができるし、写真もピコピコ載せてる。動画とかポエムとかもやろうと思えばすぐやれるのであります。そうやって表現して、発表することまでの敷居が低くなってる。その表現ツール&発表の場がブログなのです。

もう今は禁止されたから吉祥寺の井の頭公園とかで絵とか並べてる人はいなくなっちゃったんだけど、昔はいたんですよたくさん。そんでその中にめちゃくちゃいいと思える絵描きさんがいたんだけど、なんかちょっとなぁって感じだったわけ。
美術館とかに飾ってある絵なら、これいい!って思ったらそれをすぐ認めていい気がするんだけど、えー道端に置いてある絵とか、公園でしか発表できないような絵描きの絵を認めるってどうなの…拙者の感性ってば実は鈍ってるのではないでござるか?みたいに思ったわけです。要は美術館とかテレビとか雑誌とか、そういう権威に裏打ちされた物じゃないと認めちゃまずいんじゃないかなっていう風に思ってたんです。若かったんです。

でも総表現社会になるともうそんなこと言ってられない。なんでかっていうと、これは面白い!とか、この絵はいい!って思えるものが増えてきたから。今まではプロフェッショナルっていうのは選ばれた人が必然的にそうなるものなんだと思ってたから、美術館やら大手メディアに関わるような人のものしか認められなかったけど、あれ?そんなことないんじゃない?っていう雰囲気になってきた。
そういうクリエイティブな表現じゃなくても、例えば本の紹介とか言葉の説明とかっていう部分で何か検索をかけてヒットしたブログが役に立ったりしてる。吉祥寺でおいしいラーメン食べよう!って思って、「吉祥寺ラーメン・おいしい」って検索すると、誰かのブログに辿り着いて、それを参考にしたりするのは結構よくあるんじゃないかな。そうやってなんでもいいから自分を表現すると「どこかの誰かに届く」という時代になったのであります。もちろんそれはグーグル得意の検索能力の向上のおかげなのです。

玉石混交のネット上の情報を、利用者の欲しい情報だけ届けることを可能にする検索システムが整いつつある。ただまだこの検索エンジンは言葉の組み合わせでしか検索できないから、映像をどう検索するかっていうのはなかなか解決
できないと、梅田氏はおっしゃっております。

なんかかなり長いけどもう一個あって、知的生産性のツールとしてのブログという考え方が良かったのであります。これ、これが一番良かった。当たり前っていえば当たり前なんだろうけど、ブログ書いてると成長するよって。その中でも「自分のお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで大きな利益を得られる」っていう部分が、オープンソースとかって繋がってくんだけど、またそれは別のお話ってことでおやすみなさい。もう眠いのです。

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