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読書/「みんな」のバカ!/仲正昌樹 

「みんな」のバカ! 無責任になる構造 「みんな」のバカ! 無責任になる構造
仲正 昌樹 (2004/06/18)
光文社

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こないだ文化庁メディア芸術祭に行ったときの出来事なんだけど、「時をかける少女」が無料で見られたり、アニメでは富野さんたちが来るし、マンガではかわぐちかいじさんなんかが来るってことで、かなり多くの人が開場前から並んでたのですよ。朝9時とかで思ってたより寒くて風も強くて、並ぶのきついなーとおそらく「みんな」思ってたはず。それでも頑張って我慢して「みんな」並んでいたわけです。

と、そこに一人のおばさんがトコトコとやってきて…拙者の前にススっと…何食わぬ顔で…横入り(←これ方言らしいけどうそん!?ズルして並ぶことって、よこはいりって言うんじゃないの!?)…とにかく割り込みされたわけです。衝撃ですよ。あれだけ人が並んでいて、まさか自分が割り込まれる人に選ばれるだなんて思ってなかったのです。
これはどうしたものかと…日本人のモラル低下が著しいだなんて言われていても、どこか別世界の話だと思ってたのに、まさかその被害を自分が受けるなんて。と思っていたら、一緒に並んでいた友人が「すみませんけど、後ろにちゃんと並んでください」って言ったんですよ。拍手喝采です。

という流れで「みんな」が無責任になる構造を書いた本に繋げようとする必死の努力を認めてください。上のはもちろん実話ですよ。ノンフィクションですよ。

上の割り込みをされた例を使うと、あの場面で割り込みしたおばさんを注意するか注意しないかという違いは、責任の所在というか、責任に対する認識に関わってきます。
日本で責任というと、なにか失敗したときの責めを負うとか、「みんな」の中で重要な立場に関わっているという状態のことを指します。それに対して西洋での責任というのは応答することで、責任主体が答えるべき相手を特定できることが前提になって初めて存在します。特定の状況の中で個人として相手に負うべき義務こそ、責任であると言えます。
日本は「みんなの中の立場」、西洋は「特定の場面」によって責任が生じる。

拙者は正直割り込みおばさんに注意しなくていいかなーと思ったのです。「みんな」の雰囲気悪くなったら嫌だしなーとか思って。それにおばさんが割り込んだ位で整理券がなくなっちゃうって感じでもなかったので、それならほっといてもいいかなーと。「並んでいる人みんな」が整理券をもらえるっていうことは、並んでいる人の「立場」は並列的だからどこにいても責任は生じない的な見方です。

それに対して注意した友人は、割り込まれたっていう場面に対して個人的にするべき義務を果たしたと言うことが出来る気がします。結果的にそのおばさんは普通に整理券ゲットしてたので「みんな」害はなかったんだけど、仮にそのおばさんのせいで「みんなの中の誰か」が「みんな」から外される=整理券をもらえない状況になってしまった場合、そのおばさんが悪いのは当然なんだけど、それを目の前で許した自分も悪いんですよね。

っていう当たり前の話レベルまで程度が落ちちゃった上に、本の本質的な内容とはかけ離れてる感じなのでおやすみなさい。

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