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テレビ/NHK「特報首都圏」ネットの“祭り”が暴走するの感想 

テレビ/NHK「特報首都圏」ネットの“祭り”が暴走する…の前置き
上の続きですが、ちょっと読み返したら無駄に長かったので要約します。

マスメディアの報道・ニュースは基本的に日本国民全体の関心事とされており、余程ローカルな事件でなければ全国民がある程度議論できるような基盤を築いた。
しかし、ウェブ上では今まで全国民が関心を持たされてきたニュースに対して関心の度合いが異なるコミュニティ、場(サイト)が形成され始めた。ウェブにコミットできるインフラ環境・特定の趣味を持つ一部の人達によってそうしたローカルな場が形成される。そこでは興味と目的に適うニュースのみに関心が集まると共に、ある特定の言説が力を持ち(もしくは単純にお約束・ルールの共有として一つの言説に集約するかのように見せかける)、さらにそれは2NNのような人気フィルタリングサイトを通して再生産・拡大される。
こうした状況で常に槍玉にされるのが2ちゃんねるニュース系板)であり、2ちゃんねるは特殊で強力な言説が占めているとされる。仮想空間:2ちゃんねる/現実空間:マスコミという空間と言説の二項対立が作り出され、それぞれが敵対視の関係にある(とされる)。

と、こんな感じです。たぶん。
ウェブで形成される趣味を機軸としたコミュニティが、日本全体のニュースよりも、その趣味を押し出したニュースに高い関心を抱くという当たり前のことを言っているつもりです。
趣味が基盤なので、その趣味自体が日本的なものだったりすると、日本全体のニュースが主に取り上げられるのですが、日本を趣味とする人の言説なのである種の偏りがあるのは当然だと思います。もっと簡単に言うと、モー娘。を嫌いな人のコミュニティでモー娘。の誰々ができちゃった結婚をしたとかってニュースは最大の関心事となり得ますし、そこでされる言説はモー娘。批判以外にないでしょう。逆にモー娘。を好きな人達のコミュニティも同じように最大の関心事のニュースになりますが、批判よりは祝福ムードの言説が主流のはずです。

さて、今回NHKが取り上げたのは「祭り」というネット特有の現象です。以下、ほどほどに内容説明と、上の要約を交えながら個人的な感想を書いていこうと思います。ちなみにニコニコ動画で見たので、見てる人の感想やら突っ込みが参考になった部分もあります。
ってええー!?ニコニコ動画にアップされてたやつ削除されてる…。「この動画は権利者からの申請により配信を停止しました」だって。ってことで以下うろ覚えで走り書き程度のメモです。

NHKの定義する「祭り」現象は放送冒頭でアナウンサーの野村優夫さんが説明してくれました。(以下『』はNHKの放送で実際にアナウンスされた言葉です。)

『インターネット上で不特定多数の人が意見交換をしている内に、一気に盛り上がり、そして次第に歯止めがかからなくなってきて現実社会に大きな影響を与えていく事態』


とのことです。
これを聞くだけではいまいちピンと来ないかも知れませんが、すぐ後に例として、山口県光市母子殺害事件の弁護団に対して脅迫状・殺害予告が送られたことを提示します。さらには『裁判と全く関係のない人達から1000通を超える懲戒請求書が届きました』とし、それに対して508人の弁護士が『暴力や脅迫をもって弁護活動の封殺をはかることは許せないと訴えました』と一連の流れを紹介します。

「確かに508人の弁護士さんの言う通り、暴力や脅迫によって言論が封殺されるようなことがあってはならないと思います。しかし懲戒請求書は法に則った真っ当な抗議方法で、暴力や脅迫には当たりません。国民の正当な権利です。」
って感じのことがニコニコ動画のコメントにありました。法律のことはチンプンカンプンなのでわかりませんが、なるほどと思う部分もあります。しかし私が注目しているのは『裁判と全く関係のない人達』という言葉です。
山口県光市母子殺害事件は事件後から裁判の途中経過、判決、そして最高裁の今の今まで、ニュース番組のトップ扱いで報道されてきました。あれだけ報道したのだから、この事件を知らない日本人はあまりいないように思います。なのに『裁判と全く関係ない人達』というのはどういうつもりなのか分かりません。なぜこれをトップで報道するのか、報道側がどのような意図で扱っているのかが分かりません。

少なくとも私の理解では、トップニュースで扱うにはそれなりの意義や必要性がなければなりません。日本全国の人が関心のあるであろうこと、もしくは関心を持って何か考えて欲しいことをトップに持ってくるべきです。
NHKはこうした意思に基づいてこの事件を報道していたんじゃないのかなと思うのですが、自分で事件を広めて関心を高めておいて『裁判に関係ない人』という言い草はどうにも納得がいきませんでした。この事件が報道を見た人にとって全く関係のないものであるならば、わざわざ公共の電波を使用して長々と報道する必要はやはりありません。
そんな意味のないものならば、トップニュースにどこどこさん家のヤギは可愛かったとか流してくれて構いません。むしろどこどこさんの家のねこが可愛いとか、めざましテレビの「今日のわんこ」みたいのを一日中放送してくれたら需要はあるのに…。
例えば今は参議院選挙に向けてかなりの時間が政治ネタに費やされたりしていますが、政治に関心を持たせるのは当然として、その結果として選挙に行かせる必要性を感じさせて実際に投票させるためだと思います。日本人全体に関わるニュースなんだから、全員よく考えて行動してくださいってことでしょう。全く同じ構図で光市母子殺害事件も捉えられると思います。この事件・裁判に関心をもって欲しい、なんらかのアクションを起こす必要があるのかないのか考えて欲しいし、行動しなければならないなら行動しよう…ってことでわざわざトップで流していたように思うのですが。それなのに実際に行動を起こしてしまうと、『関係のない人』扱いをするというのは気になります。
もちろんここで起きた行動が「祭り」という現象の一部であり、「祭り」の中に脅迫などの法的に認められないものが含まれている…というのが問題にしたい部分だったのだと思います。NHKによる報道ではこのような「祭り」は起きないので安全ですが、ネットニュース掲示板の報道ではこうした「祭り」が起きるので危険ですよ、と言っているのだと思います。

ちょっと飛ばして祭りを一瞬フォローする場面から。
『インターネット上の祭りが必ずしもこうした攻撃的なものになるとは限りません。場合によっては大きな社会貢献の大きな力にもなります。』とフォローした後に、2ちゃんねるの書き込みを画面に映します。たぶん実際に書き込まれた内容だと思います。そこが面白かったのでキャプチャをアップしました。
NHK「特報首都圏」ネットの“祭り”が暴走する

396番目の書き込みに対して誹謗中傷のレスが続く画面です。画面からは消えてますが、406から409までが396をいじめるようなレスをしています。こうなると396がなにを書いたのか気になって仕方がないのですが、396の書き込みは画面から外されたままで、結局何が書かれていたのかわかりませんでした。ど、どんだけー。
例えばここで396が「お前ら全員死ね!」みたいな書き込みをしていて、それに対して「ばっかじゃない?」「きもい」っていう反応だとしたら…とか、396が「私を罵倒してください!」って書き込んでいたとしたら…とか。そんなこと考える人が希少なのかも知れませんが、NHKのこういうやり方は不信感を持たれても仕方がない気がします。

ただ私はこの恣意性をある意味では評価しています。それはNHKのこの番組は、ネットの危険性について関心を高めたいという意思が伝わってくるからです。実際ネットの危険性に対する真偽だったり、この番組で扱われる例が妥当性を持っているかどうかは全く別の問題でそっちに関しては…ですが。
少なくとも大手マスメディアは最大公約数の人間に向かって、その時々に最も必要だと思われる関心事を提示しなければならないと思います。だから今回のこの番組は、ある意味ではネットを利用する人と利用しない人という素晴らしく大勢の人の注目を集めることに成功したと思います(関東圏のみでの放送ですけど)。残念だったのはネットは危険だというような一方的な報道に終始してしまった部分があることです。問題提起によって関心を高めるのが必要なのであって、結論を一方的に押し付けるのは問題外です。

というのは、ネットに関するニュースの受け手の環境を考えればよくわかります。どの程度いるかは私には見当もつきませんが、ご年配の方などには接するメディアが新聞とテレビだけという方は少なくないと思います。そういう方が今回のような番組に触れてしまうと、実際にネットを経験できないがために、一方的にそれを受け入れてしまう…なんていうのは極当たり前ですが見逃せないことです。
ネットインフラの整っている人といない人の間には、実はコミュニケーションする場がないのです。ウェブでは誰とでも繋がることが出来ると考えてしまいがちですが、そもそもウェブ空間を知らない人とはどうあっても出会えません。現実空間で直接会うなり電話するなりするしかないのです。固有名として何らかの関係がすでにできていなければなりません。
私は基本的に年配の方を頭に置いているわけですが、ネットユーザーと対話する機会は自分の息子娘家族・孫と会った時くらいでしょうか。お年寄りを甘く見すぎているかもしれませんが。

もし今回の番組がネットではこのような現象が起きている、程度で終わっていたら議論のネタとして活躍したのではないかと思います。テレビを見た祖父母から「テレビでこんなことが話題になっていたが、どうなんだい?」という積極的接触が孫にあったりするかも知れません。でも結論付けられていると、そもそも話す気にならない。それに対して反論する素地が視聴者にあるなら別ですが、全く何もない状態に結論付いた情報を入れられても「ああそう」で終わってしまう。「ああ危険なんだ」で終わってしまう。議論を生み出す動機付けにならないような気がします。
さらに言えば最早ご年配の方はウェブに興味がないかも知れません。すると元々関心の全くないところでどうこう言っても初めから無駄なわけですが…それでもそこに興味関心を持たせようとしたNHKはやはりある程度評価されてもいいのかも思います。

のろのろ書いていたらまた長くなってきたので、早くも終わりムードです。もうあんまり覚えてないからです。懲戒請求の件(弁護活動に対する違法な攻撃を許さない弁護士緊急アピールの会?)に関する弁護士のお話。
『懲戒請求が異常な形で出されている、~なんかむにゃむにゃ~、殺害予告が出されている。従来の弁護団批判と対比しても突出しているのではないか。』というわけで、ネットがこうしたものの原因とされます。これは別の弁護士さんが番組初めに『集団を形成することが瞬時に可能になってしまう』という部分にも繋がってきます。
今までのマスメディアの報道だったら、懲戒請求とか脅迫の数とかは微々たるものだったのに、ネットのせいでそれがとんでもない勢いになっている、というわけです。今/昔がネットの有無で区切られています。そしてネットの中心にあるのが2ちゃんねるとされます。

今回の番組によれば、趣味的ローカル性の連帯感、コミュニケーションにおける高揚感、非常に単純化された正義感によって共同の目的意識を持つこと…などが2ちゃんねるのニュース系掲示板で起きており、祭り現象はこの結果だとされます。
2ちゃんねるのようなウェブ空間が、ある種の趣味や言説を持った人達を集めて棲み分けすることを可能にしたことは間違いありません。それによって一つの言説のみが強まる過程はテレビ/NHK「特報首都圏」ネットの“祭り”が暴走する…の前置き ここに書きました。ある場(掲示板)が一つの言説に集約されるように見えるのは、コミュニケーションを円滑にするためのお約束だという側面もあります。また、ここで言われる正義感は普遍的正義感のことではなくて、同一の趣味コミュニティ内における正義感だと思っています。これらはおそらく祭りを起こすために必要なものだと思います。

ただもっと素朴な理由として同一趣味内に様々な背景を持つ人がいるということがあるように思います。それは人材の豊富さです。2ちゃんねるにはある種の豊富な人材ネットワークが構築されています。
懲戒請求書のテンプレートを即座に作れる人間、宣伝用の文面やポスターを作れる人間、法的根拠を持ち出して正当か不当か判断できる人間…など、色々な人が関わって祭りが起きるのも事実です。あたかも「2ちゃんねらーのストレス発散」かのように扱われた祭りですが、これだけの現象を起こせる人材が転がっているというのは見逃せません。


この番組を通して言いたかったことは、ネットの祭りは何も考えずに面白がって参加している人ばかりだから危険な方向へ暴走する怖さがありますねってことだと思います。
2ちゃんねるのニュース系掲示板は別にメディアと違う情報ソースを独自調査で手に入れているなどということはありません。一般の大手メディアによって報道されるソースと同じものを使っているに過ぎません。なのになぜこうまで反応が違うのか。
「祭り」という言葉に端的に示されているように、この現象は遊びだったり勢いだったり、熟考や思慮を欠いているというニュアンスが含まれています。つまり「祭りの参加者はパラッパラッパーならぬパッパラパー」ということです。裏返せば「昔は思慮深かったから考えなしの行動なんてしなかった」ということでしょう。学生運動はなんだっt…思想の結果だったということで正当化されるのかも知れません。
ネットでは与えられた情報に対して自分で考える機会が失われている。逆にテレビや新聞などのメディアに接する人は、与えられた情報に対して自分で何かを考え何かを判断し、そしてそれを基にして行動に繋げていくということです。情報と行動(反応)の間に思慮のクッションがあるから、変な行動には繋がらない。

本当にそうなのかなーと疑問に思う意見です。「思慮深さ」の有無がネットとそれまでのメディア報道の結果を隔てているようです。(あ、今思い出したけど「匿名性」についてもちょっと触れてた気がします。匿名性も祭りを起こす上で大事な要素だと思います。)
ネットでコミュニケーションのネタとしてニュースが使われているのは事実です。ただし、現実社会でもニュースはコミュニケーションのネタとして使われているのも事実です。「昨日巨人勝ったな!」なんて上司に言われてからスポーツ新聞の一面くらいは見ておくようにした…なんてよくあると思います。コミュニケーションという目的のために共有される情報なのでそこに「思慮」なんて必要ないと思います。
でもこれが政治的なニュースだったり思想・言説に関わるニュースだとちょっと駄目なんじゃないかとなってきます。今までの構造だったり仕組みが崩されてしまい、不安定な結果を引き起こしかねない不安があるからです。行動が起こらないから今まではあるエスタブリッシュメントが保たれていたけど、思慮もなく行動を起こされたら壊される危険性がある。さらに匿名性のおかげで今まで思っていても人前では言えなかったようなことが言える現状が拍車をかけている。元凶は「ネット=匿名性=思慮に欠ける」であるとされます。もしかしたら今と昔で倫理観が全く変わってしまったと言いたいのかも知れません。
でも政治的言説や思想で言ってはならないとされてきたことは、言わばそうした装置・構造によって暴力的になされてきたことに過ぎないのも事実です。人前でこんなことを言ったら白い目で見られるかも知れない…仲間外れにされるかも知れないという外圧的な装置が機能していたから可能だった。だから別に昔は倫理的で今はそうではない、というのは一概には言えないように思います。昔も本当は言いたかったし行動したかったのに、そうした場がなく仲間を集められなかったという人は多かったんじゃないかなと思います。
そういう人達がネットというツールを利用して自己主張できるようになったのは多様性を認めるという観点からすればいいことかも知れません。問題とされる無思慮な人の参加という現象も、自己主張のためにネットを利用して起こしている人の作戦勝ち的な面があったりするんだろうと思います。今までのメディアにしてみればこうした方法は暴力的に見えるだろうし、逆にネット側(祭りを操作する人)も今まで暴力的に抑圧されてきたという思いがあるのかもしれないし、どっちもどっちでなかなかいい勝負ではないかと。

そろそろアンチ既存メディア(ネット)/既存メディアに新しい第三項の何かが加わってもいいような気がします。って長々と書き過ぎてわからなくなってきたので終了します。もっと上手にまとめて書けるようになんなきゃ駄目ですね…。

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